母を愛する気持ちは、よくわかる。しかし、こんなに「母一色」でよいものか。そんなに母というのは、男性にとって大切な存在なのだろうか‥‥。
 かつて政府の教育関係の審議会などに呼ばれ、そこで”プチ茂吉” のような政治家に出会ったことがあった。彼は、「どうすれば子どもをまっすぐに育てられるのか」という問題について、「母親は無償の愛こそがすべて」と体験を交えて持論を展開したのだ。
本表紙香山リカ著から

赤バラ自身の性的欲望の表現でいちばん多いのが、フィット感、密着度が素晴らしい、相性がいいという表現を男女ともによく使う。どんな性的機能の相性がよかったのか簡単にいうと膣の締まりがよい。ペニスが太長い。性的欲望の強さに富み官能的に感じさせ満足させてくれる。そして性癖の多様性があり飽きさせない!

「男は女に立てられるもの」はどこからきているのか

「カリスマ」というカン違い

 こんな私でも、ときどき「カリスマ」と呼ばれる各界の第一人者と対談する機会がある。経営者や小説家などだ。ここでは仮に、そのカリスマを男性という事にしておこう。
 もちろん、その業績や発言からは学ぶべきところも多い。しかし、正直言ってそのカリスマの人間性に関しては、とくに女性である私から見て「?」マークがつく場合も、少なくないのである。

 これは誰か特定の人物を指しているわけではないのだが、カリスマはたいてい、独特の雰囲気を身にまとっている。
「いやー、これはドモドモドウモ。香山さんは北海道出身ですか? 北海道といえば私はジンギスカンに目がなくて‥‥」などと、笑顔でペラペラしゃべったりすることもなく、眼光鋭くこちらをじっと擬視している人もいれば、中には妄想でもしているかのように、対談の席でずっと目をつぶっているひともいた。

 そうなると、どうしてもこちらは気を使って、「先生の最新作、読ませていただきました。いやー、精神科医の私から見ても、”どうしてこの人、人間の心理がここまでわかっているの?”と驚くような卓見ばかりで‥‥」と媚びてしまいがちだ。

 すると、”妄想中のカリスマ”は初めて目を開け、「そうかね? まあ私の場合、見抜こうと思わなくても自然に分かるんですよ、相手の心がね」とつぶやく。そこで私も編集者もほっとしてしまうと、再び目を固く閉じて自分のインナーワールドへ、という事になりかねない。そこで、まわりもさかんに「経団連のなんとかさんも先生のファンですよ」「海外でも先生の本を読みたいから日本語を勉強、という若者が増えているんです」などと畳みかける。

 そうやって、カリスマのご機嫌をみんなで取って、なんとか雑誌の見開きページくらいの対談が組める発言を引きずり出した。

 こういう経験は、一度や二度ではない。そして、そんな対談が終わった後は、苦労したにもかかわらず、そこに居合わせた編集者、ライター、カメラマンなどは、カリスマのことをさらにほめ讃えるのだ。
「いや、あれぞ最後のサムライだね」「あの迫力、演出じゃ、ああはいかないよね」
 キミたちはマゾなのか、と言いたくなる。
 カリスマ然として振る舞いたい人はたいてい、それを待望しているマスコミがある。それはそれで需要と供給のバランスが取れているからいいのかもしれないが、それでも私の中には割り切れないものが残る。或る対談からの帰り道、その違和感の正体が分かったことがあった。

――もし、あのカリスマが女性だったらどうなんだろう。女性の作家や経営者が、対談の席でずっと目をつぶり続け、たまにぽつりと話すだけ、といった態度を取ったら、”さすがサムライ”などと褒められるだろうか。それどころか、”カン違いするな””何様だと思ってるんだ”と非難囂々、あっという間に表舞台から消されてしまうのではないか。

 そう、その傲慢ともいえる態度は、「オトコだから」という理由で許されるのではないか、ということだ。そしてさらに、その不親切、不機嫌、それどころか「対談を引き受けながら自分からはほとんど話さない」といった職務不履行ともいえる不遜さは、まわりの編集者たちや私などの、不必要なままでのご機嫌取りやヨイショにより、なんとかカバーされているのである。

 私が男性であった、さすがのカリスマももう少しサービス精神を働かせたかもしれないな、と思う事もある。彼らはおそらく、女性の前ではああやって不親切を決め込むことに、さして女性や女性役ともいえる側近たちに立ててもらう事で仕事や日常を切り抜けることに、慣れきっているのであろう。

――別に私が女、それもゴージャス系の美女体質の地味めな女だからといって、あそこまで支配的に振る舞う必要はないのに。もっと自然に話したり笑ったりすればいいのに‥‥。
 考えているうちに、だんだんそのカリスマが哀れに思えたこともあった。

実はゆるかった江戸時代のイエ制度

 さて、この日本で「男は女に立てられているもの」という考え方ができあがったのは、いつのことなのか。
「なんといっても武士階級とイエ制度が確立してから」という説が強い。たしかに時代劇を見ても、「おイエ大切」という考え方が繰り返し出て来る。
 イエの長は父親。跡取りは長男。そこで家督を守り、継いでいくことが、イエのあらゆる構成員の至上命題だ。だから、とくに女性は父と長男のために存在している、という事にもなる。
 そうかも「女が男を立てる文化」はそんなに昔からあるのか。そう思いながらも、「ホントかな?」と少し調べてみたことがある。すると、実は江戸時代までの「イエ」における父親や長男の”絶対主義”は、今、思われるほど強くなかったかもしれない、という事実がわかってきたのだ。

 マンガ原作者にして民族研究者の大塚英志氏は、著書の中でこう述べている。
「一八世紀から一九世紀にかけての江戸時代後半において、武家社会では全相続の四割が養子によるものであったという研究があるほど、『家督の相続』と『血縁』は一致しなかった。『家』を継ぐ条件は『血族』が唯一ではなかったのである」(『「伝統」とは何か』二〇〇四年 ちくま新書)
 えつ、長男でなくてもよかったのか!
 だとしたら、どうやってイエの存続は守られたのか。この養子というのは、やはり”長男っぽい”人が迎えられたのだろうか。そう考えてさらに調べると、そうとばかりは言いきれず、養子による家督相続以外にも、第一子の女性による相続である「姉家督」や末っ子による「末子相続」なども、かなり広く行われていたらしい。

 また、長男や長男に相当する誰かが継げばそれで「イエ」というわけではなかった。「家産(土地、家屋)があること」「祭祀を行うこと」「生活や生産の経営体であること」といったさまざまな機能をこなしてこそのイエ、だったようだ。

 いろいろ調べるうちに、私の中で「イエ=父親と長男が祭り上げた血縁集団」というイメージは崩れていった。私は想像していた「正統な血縁の長男が代々継いでいくのが「イエ」ではなく、なんというか、「寝食を共にしたり、地域共同体に参加したり、商売をしたり」といった、何でも屋的な小集団、どうもそれが江戸時代までのイエだと考えた方がよさそうな気がした。

 では、そこで女性は何をしていたのか。
 児童福祉・保護の歴史を研究する田澤薫氏は、「明治近代以来の法制度・社会制度にみる児童の養育責任論とその具体化に関する分析」という論文の中で、江戸期の女性教育書として名高い『女大学』の「女としてのつとめ二〇項目」を検討する。そこにはこうある。

「舅・姑の為に衣を縫い、食を整へ、夫に仕て、衣を畳、席を掃き、子を育て、汚を洗、常に家の内に居て、猥(みだ)に外へ出べらず」
「子を育つ共、愛に溺れて習はせ悪し」
 つまり、江戸の女性たちにとって、「夫に仕える」というのは、最優先事項というよりは、いくつもある義務の中の一つであり、さらに「子育て」はそれらより下位にあって、「母が子育てに熱心に取り組むことを快しとしていない」と田澤氏は言う。

「夫を立てて、長男を立派に育てるのが武士の妻」というイメージは、ここにおいても大きく崩れる。
 なんだ、江戸時代はそれほど絶対的に「女が男を立てる時代」ではなかった、ということか。
 しかし、だとしたら、「うむ」しか言わないカリスマが女性の助手やライターにおだてられながら仕事を進める、といった”風習”は、いつ出来上がったのだろう。

 実は、それは明治以降の話ではないか、というのが最近の定説のようだ。
「男は女に立てられるもの」という価値観の固定に大きな役割を果たしたのが、明治民法とともに規定された「新しいイエ制度」だと言われる。

父親、長男優先意識は国家戦略

 ふつうに考えれば、ここに来て血縁がある人、ない人が入り乱れた生活集団であった江戸時代のイエは、やっと今と同じような形態の「家族」になり、「男が、女が」といった固定的な価値観はややゆるくなったはず、と思われる。
 ところが、事態は逆だったようだ。
『子どもが忌避される時代』(二〇〇七年 新曜社)で子ども学研究者の本田和子氏は、ズバリこう述べている。
「江戸時代には男系相続以外の多様な『家の形』が存在していたらしいのだが、それらをすべて消去した上で、武家のそれが範とされたのであった。そして、こうして形成された『家族』が基盤とされ、国民国家像が構想されたのだが、この場合、『家族モデル』が国民国家に適合的に作成されたと同様、国民国家もまた『家族モデル』に適合的に形成されたのであった。したがって、わが国の場合、第二次世界大戦後の新民法制定まで、規範モデルとして機能していたのは、封建治世下の武士階級の『家制度』であったという事になるのである」
 ここで私たちは、次のようなことに気づかされる。

 まず、江戸時代のイエのほうが、明治以降のそれよりもある意味、もっとゆるくおおらかだったかもしれない、ということ。血縁も男女の順位も、実は考えられているよりもアバウトだった可能性があるのではないか、とも言える。

 そしてもうひとつは、明治以降の「より厳しいイエ制度」は、決して自然発生的なものではなくて、明らかに人工的に国家によって作られたものではないか、ということだ。
 大塚氏も、前掲書でこう指摘する。
「そもそも江戸時代に庶民が姓を持っていないことは時代劇のドラマを見ていてもわかる事であり、そのことをとっても姓と血統と戸籍が一体となった『家』制度が、昔ながらの『伝統』であると単純に考えるのは、いささか無理がある事に気が付かなくてはいけない」
 なるほど。そうしてみると、イエは大切、そこの主要メンバーである父親と長男が大切、だからイエの中だけではなく、社会の中でも女は男を立てるべし、などというのは、たかだかここ一五〇年にも満たない時間の中で、かなり強引に作り上げられた価値観である可能性もあるのだ。

 それにしても、なぜ国家がそんなことをしたのか。
 それはもちろん、「富国強兵」のためであろう。優秀な男子は外で働き、戦争に行って、女性たちは彼らが心置きなく働き戦える基盤を作ってくれるのが望ましい。また、男性たちも、そうやって女性たちが自分を敬い、何をしても許してくれるのが気持ちがいい、と知ってしまったのだろう。

男にとっての「母」とは?
 妻たちはさすがに途中から、「もう付き合いきれない」と自立の道を歩み出したが、その中でも「男を守って立てる女」を演じきった人たちがいる。それは、彼らの母親だ。

 作家・北杜夫氏は、終生、偉大な父親である斎藤茂吉への尊敬とコンプレックスの中で生きた、と言われている。しかし、その茂吉にとって最も大切だったのは、残念ながら息子ではなく、自分を愛してくれた母親であったようだ。
 斎藤茂吉の名高い連作『死にたまふ母』には、こんな歌が並ぶ。
 はるばると薬をもちて来しわれを目守りたまへりわれは子なれば
 
のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根(たらちね)の母は死にたまふな

我が母よ死にたまひゆく我が母よ我が生まし乳足らひし母よ

 母を愛する気持ちは、よくわかる。しかし、こんなに「母一色」でよいものか。そんなに母というのは、男性にとって大切な存在なのだろうか‥‥。
 かつて政府の教育関係の審議会などに呼ばれ、そこで”プチ茂吉” のような政治家に出会ったことがあった。彼は、「どうすれば子どもをまっすぐに育てられるのか」という問題について、「母親は無償の愛こそがすべて」と体験を交えて持論を展開したのだ。

「私が幼いとき、家にはいつも母親がいて、溢れんばかりの愛情で私を育ててくれた。外で遊んで帰ると、いつも控えめで決して表には出ない母親の、幸福そのものの笑顔と手作りのおやつが待っていたものだ。

 母親は私が何をしても厳しく𠮟責することはなく、”どうしてそうしたの”と話を聞こうとした。私の存在を無条件に受け入れてくれたのだ。今の母親たちもこうやって我が子を育てれば、子どもが真っ直ぐ育たないはずなどない」

 その人は政治家にまでなったのだから、自らの過去を全面的に肯定したくなるのかもしれないが、自分の個別のケースに普遍化しようとするのはあまりにも短略的に思えた。それに、母親が「幸福そのもの」だったというのは、この政治家の側からのノスタルジーの混じった一方的な振り返りにしか過ぎないのではないか。この母親が、夫や息子に文字通り、隷属しながら、あれこれ悩んでいなかったとは誰にも言い切れない。

女性たちの本音

 診察室には、”プチ茂吉”のような夫に悩む女性が、時々やって来る。彼女たちの夫の母親は、たいてい息子を溺愛し、尊敬すらし、いつも味方をしている。
「お義母さんは私に言いました。ウチの子はね、洗濯機が止まっているのにお水を出っぱなしなっていると、自分では止めずに、”お母さん、水が出ているよ!”と呼ぶんですよ」

 彼女は最初、それは母親が息子の欠点を語っているのかと思ったが、どうも違う、と気づいた。母親は、「私はそれくらい息子を大切に育てた。その結果、”一切家事は出来ない”という作品が出来上がった。そして、そんな息子をたまらなく可愛く思う」と、息子自慢をしているのだった。

 そして、その息子は当然な事ながら、「女は男を立てるもの」という無邪気なほどの価値観がとらわれ、それを妻に要求してくる。妻がちょっと自分自身の話をしようものなら、「なんだよ、そんな話、聴きたくもないよ」と拒否する。

「夫は、私ひとりの人格として認めてくれないんです。自分を立てて、支える機械かなんかだと思っているんでしょう。冗談じゃない。私だってあなたと対等な人間よ、あなた以上にいろんなことを考えているのよ。と怒鳴ってやりたい気持ちです。彼にだけではなくて、彼に女ってそんなもの、という幻想を与えたお義母さんにも」

 もちろん、茂吉の母もその女性の夫の母も、悪意があったわけではない。しかし、この女性イメージの植え付けはあまりにも強烈で、その後の女と男との関係にもさまざまな悪影響を与えたのではないだろうか。

 つまり、男性たちは「今は目の前にいない万能の母」の姿を思い、慕い、それを無理やりにでも目の前の妻や部下などの女性に求めようとするわけだ。

 もちろん、「母を恋う子」は息子だけでなく、ときどき「母を恋う娘」の気持ちが歌謡曲などになることがある。かつて森昌子は、「おかあさん」(作詞・上坂薫)という歌の中で「やせたみたいね おかあさん ふざけておぶって 感じたの」と母親への尽きせぬ思慕を歌ったが、この中では「感謝してます」「長生きしてね」と娘から母親への一方的な思いが吐露されるだけで、母親がどんな人なのかはあまり具体的には記されていない。

 山口百恵の「コスモスイニシア」(作詞・さだまさし)でも、「こんな小春日和の穏やかな日は、あなたの優しさが浸みて来る」と嫁入り前の娘の感謝が述べられるが、男の子のような「万能の母」の姿がそこにあるわけではない。

 このように「娘にとっての母は万能ではない」ということは、逆に考えれば母は娘のことは、息子にするように「あなたは最高よ、あなたは何もしなくてもそのままで世界一の存在よ」と無条件に肯定し、立てて立てて立てまくることはない、という事でもあるのだろう。

 イエ制度の時代、高度成長やバブル期の時代、そして現在の少子化の時代、と何だかんだと時代の波を受けながらも、ずっと母親を中心とした女性たちに立てられ守られ、「オレはこのままでいいんだ」と信じながら生きてきた男性たちみな「自分であること」に覚醒したら、それはそれで厄介、という気もしないでもない。

 今はあまりかかわりあいたくない男に対しては、女性はとりあえず「ま~、すごい、すばらしい!」と何も考えずに”ほめ殺し”にしておけば、相手は一方的に鼻高々となり、それ以上に、面倒くさいやり取りはしないですむ。ところが、男性たちには”ほめ殺し”が通用しなくなり、「あなたはどう思いますか?」などと、女性を対等な存在として認めて対話を求めるようになったら、こちらもそれに真剣に応えなければならない。そうしたら、女性も自分の考えや意見をいちいちきちんと述べなければならず、かなり疲れることだろう。

 だとしたら、男たちはこれからも、女性の上っ面だけの褒め言葉だけに”万能の母”の面影を見出し、ぽ~っといい気分になってもらったほうがいい、ということになるのか。なんだかそれも寂しくはないだろうか。

 私ももし今度、対談や審議会の席でまわりから立てられるまで発言しようともしない”カリスマ”に会ったら、ズバリ言ってみようと思う。

「あんた何を考えているの? いや、ホントは何も考えていないからずっと黙ってるんでしょう? まわりがあなたにはカリスマ幻想を投影してくれるのを、じっと待っているんだよね」
 そして、「男を立てないナマイキ女」などという前近代的なレッテルが二一世紀の今つけられたら、それはそれでオモシロイ気がするのだ。

4 モテる男になるための会話術

相手が何を望んでいるかを察する
 話の達人になりたい。気の利いた話術を身に着けたら、さぞ女性にもモテるだろうし、ビジネスの交渉もうまく行くに違いない。そう考えて、「話し方」「コミュニケーション術」と名前のついた本を買いあさり、ジョークのネタ集めに余念がない、という人も多かろう。

 そんな人たちに、まずちょっとショッキングな話からしたいと思う。
 もし、ある男性に、職場にちょっと気になる女性がいたとしよう。彼女は、離婚して子ども二人を育てているシングルマザーである。仕事と子育て、たいへんな毎日だと思うが、彼女は職場では笑顔を忘れず、ファッションなどにもそれなりに気を使っているようだ。男性は、「彼女の助けになってあげたい。気の利いた話のひとつでもしてあげれば、彼女の生活もぐっと潤いがあるものになって、オレを頼りにしちゃったりして‥‥」などと空想しつつ、ゆっくりと話せるチャンスを伺っていた。

 ところが突然、悲劇が訪れた。彼女の子どものひとりが、交通事故に遭って亡くなってしまったのだ。
 二週間の休みを取ったあと、彼女は職場に復帰してきた。当然のことだろうが、見る影もないほどやつれている。それでも彼女は「ご迷惑をおかけいたしました。がんばって休んでいた間の穴埋めをしたいと思いますので、よろしくお願いします」とみんなの前で頭を下げた。

 そのけなげさに感動した男性は、ますます「彼女と話したい、力になってあげたい」という思いを強めたのだ。
 さて、こういう場合、男性は彼女にどんな言葉をかけてあげるべきだろう。さすがに”したごころ”は以前ほどではないにせよ、「いい人だと思われたい」「頼りにされたい」という気持ちはあるはずだ。
 まず、次の三つからいちばん適切と思われるものを選んでほしい。
1、こういうときこそ、先人の知恵が役に立つ。極限状況を生き延びた人の本、たとえばナチスの強制収容所から生還した精神科医フランクルの『夜と霧』や、高僧の書いた人生の指南書などを熟読し、彼女の心を励ますようなフレーズを暗記して、会話の中で口にする。
2、こういうときこそ、笑いの力が大切。誰もが腫れ物に触るように扱うと、ますます彼女の心は暗くなる。だから『世界のジョーク集』などで誰でも笑えるジョークやユーモア小話を学び、何事もなかったような明るい笑顔で、「ねえ、こんな話、知っている?」と話しかけてみる。
3、何も話しかけない。ただ彼女の引き受けている仕事の一部を肩代わりするなど、その負担が減るような協力はする。

すでに察してはいるとは思うが、正解は3である。
コミュニケーションを取ること、とくに言葉を重ねてのかかわりは、ときによっては相手を喜ばせたり癒したりするどころか、かえってその心を傷つけることにもなりかねないのだ。

そっとしておいて欲しい
 長年、悲しみにある人たちに寄り添う活動をしてきた上智大学グリーフケア研究所所長の高木慶子さんという人がいる。

 一般の人たちに向けての著書も多く執筆している高木さんだが、より専門書に近い本に『喪失体験と悲嘆』(二〇〇七年 医学書院)がある。これは阪神淡路大震災で我が子を亡くす経験をした母親たち三三人への約三年半後のアンケート調査をもとに、「大切な人の喪失が人の心にどういう変化をもたらすか」をまとめた、たいへん貴重な研究だ。

 もちろん、その母親たちにはいきなりアンケートを実施したのではなく、シスターでもある高木さんが震災発生直後からずっとかかわり続け、信頼関係ができあがった中で行われたものだ。

 あの日から三年以上がたっても「時間は止まったまま」「ずっと虚脱感の中にいる」という母親たちの悲しみの深さに茫然とするばかりなのだが、中でも印象的なのが周りの人たちのかかわりについて記されたところだ。

 アンケートには、「周囲からして欲しくなかったと思う事柄」という項目があるのだが、その一位は「解ったふりの同情の言葉や押しつけがましい言葉を受けたこと」で、実に三人にひとりがその経験を挙げている。

 また、「心ない言葉や態度で慰められたこと」や、「『頑張れ』という言葉に代表される励ましの言葉」を挙げた人も多い。高木さんはこの結果から、「重要なことは、言葉が悲嘆者の心の傷をさらに深めていることがある」と述べている。

 具体的にアンケートにつづられた言葉を見ると、相手は決して悪意ではなく、励ましや慰めを口にしている場合が多いようだ。しかし、言われる側からすると、ほとんどの言葉に心が揺らぎ、傷ついている。「がんばってね」と言われると「今でも十分がんばっている」と、「早く乗り越えてね」と言われると「とても乗り越えられない」と、「ほかの子どももいるんだから」と言われると「亡くなったあの子のことで精一杯」と、そのつど傷ついてしまうのだ。

 また、「もう二年たっているのだから」などの「時間が解決する」という言い方も、「いつまでもあの子のことを忘れるわけではない」と思っている母親にとっては、傷つく言葉となっている。

 もちろん、「ソクラテスはこう言っているんだけどね」といった”うんちく”や、「こういうときこそへッセの作品を読んでみるといいよ、貸してあげるから来週、感想を教えて」といった強制は百害あって一利なし、ということは言うまでもない。

 一方、アンケートには、「周囲にして欲しかった事柄」という項目もある。その結果はどうなっているだろう。上位から見てみると、それは次のようになっている。

「とにかく、そっとしておいて欲しかった」「死者のために祈って欲しかった」「ひとりになりたかった」。また、「家事のことや家族の面倒を見てほしかった」思い切り泣かせてほしかった」という答えもある。

「気遣いのある言葉や手紙が欲しかった」という人も三三人中、四人いるが、そのほとんどは「手紙やハガキで」となっている。「話しを聴いて欲しかった」はふたりしかいない。

 つまり、悲しみのどん底にあるときには、直接のどんな言葉も効果はなく、いちばんありがたいのは「放っておいてくれること」「ひとりで悲しませてくれること」というのだ。震災発生からアンケート調査までの三年半のあいだ、三三人中、実に八人が夫と離婚あるいは別居しているのだが、その人たちは「ひとりになってようやく思う存分、悲しめるようになった」などと答えている。もしかしたら、夫らも言葉を尽くして妻を慰め、励まそうとしたのかもしれないが、それよりも彼女たちが望んだのは「ひとりにして欲しい」ということだったのだ。

「どう話すか」よりも「どう話さないか」

 さて、これは「子どもが突然、失う」という極めて限定された状況の中でだけ、見られる特徴なのだろうか。
 私はそうは思わない。
 実は、精神科の診察室で行われていることも、極めてこれに近いのだ。
 青ざめた顔をした人が診察室に入ってくる。「今日はどうされました?」と質問しても、「えーと、あの‥‥」となかなか話さない。そういう場合、私たちは「あのね、話してくれなければ診察になりませんよ!」などとは強制しない。「なかなか口にしにくいことなんですね? いいんですよ」とそのままにしておく。

 中には、話す代わりにさめざめと涙を流す人もいるが、そこでも「どうして泣いているんですか? そういえば、涙にまつわるエジプトの言い伝えをご存知ですか?」などとは言わず、そっとティッシュペーパーを差し出す。

 精神科の診察室では私たちは、「どう話すか」よりも「どう話さないか」ということに何倍もエネルギーを奪われることが多い。

 そして、そのうちにその人が、「すいません。実は職場でも家庭でも人間関係がうまくいかなくて」とポツポツ話しだしたら、それに黙って耳を傾ける。こちらが発するのは、「そうなんですか」「なるほど」「ふんふん」といった、それじたいは意味のないあいづちだけだ。
しかし、同じ医者でも精神科医以外の人には、この「黙って聴く」というのが苦手な人も多い。

定期的に開かれている「がん医療に携わる医師のためにコミュニケーション技術研修会」などでも、外科医や内科医に繰り返して説かれるのは「なるべく黙って聴いて」ということ、たとえばがん告知を受けて、ショックのあまり泣いている患者さんに対してはひとこと、「おつらいですよね」といった言葉で、「どうして私が! 健康に気を付けていたのに!」と衝撃を怒りにかえる患者さんには、うなずきや沈黙で対応する。それが患者さんをいちばん安心させる。「共感」の最適な表現なのだ、という説明が行われる。

ところが、研修会で「沈黙による共感の仕方」の模範例で映像が流されると、会場からは苦笑いが漏れる。「先生、ホントですか!? 私が癌だなんて‥‥」とパニックに陥る患者さんから目を離さず、ただ「うんうん」と深くうなずいて、おもむろにティッシュのボックスを取り出して勧める。

私がこの研修会に参加した時は、まわりの医師たちは「ちょっとわざとらしいよね」「自分で口にして気恥ずかしくなりそうだ」とささやいていた。実際にはそういう場面では、なんとか事態を収拾させようと、つい饒舌になってしまうことが多いようだ。
「あ、がんといっても未分化型じゃないですからね、直径も四センチだし手術できないわけじゃないですよ。まあ、でもこの大きさだとリンパにまで確実に行っているだろうなあ。となると‥‥五年生存率は四一パーセントか‥‥。あ、ここは最新のアメリカの論文があるんですが、これによるとケモセラピー(化学療法)のほうはですね‥‥」

 専門用語の連続、「五年生存率」といったシビアな言葉に、患者さんの不安、恐怖はさらに強まってしまうのは間違いない。

 それよりは、まず何も言わないこと。そして、相手が望めば黙って聴くこと。その人の心にではなくて、生活や仕事の方の手助けをしてあげる事。その人が一人でゆっくり考えたり悲しみに浸ったりできるような環境を、まわりからそっと整えてあげること。これらが、何よりも大切なことなのだ。

 同業者である夫を、心臓発作で突然失ったアメリカの女性作家ジョーン・ディディオンが自分の心の変化を綴った「悲しみにある者」(二〇一一年 慶応義塾大学出版会)という本が、日本でも大きな話題になった。

 知的な女性であるジョーンは、なんとか悲しみを理性で乗り越えようとあれこれ思案したり、古典から現代までたくさんの文学作品や精神分析の本など読みあさったりするのだが、彼女にとってもっとも支えになったのは友人の次のような態度だったのだ。本文から引用しよう。
「私は、初めの三・四週間にわたり、毎日私にチャイナタウンで買ったシャロットとショウガのお粥を持って来てくれた友人の、本能的と言える智恵を忘れることはないだろう。お粥なら食べられた。粥しかのどを通らなかった」
 これほどのインテリの女性にとっても、いちばんの癒しは「言葉」ではなく、友人がそっと届けてくれるお粥だったのだ。

こんな人が嫌われる

 どうだろう。ここまで読んできた人たちの中には、「なるほど。言葉は時として人を傷つけるわけね。それよりもティッシュペーパーやお粥が役立つこともあるのか」と思いながらも、まだ納得のいかない人もいるのではないだろうか。

「でも、これはいろいろな意味で悲しみや衝撃のさなかにある人のケースだろう。私が日ごろ話したい、と思っているのは、ふつうの女性や部下となんだよ。その場合は、”黙ってティッシュをさし出す”とはいかないじゃないか。やっぱり気の利いた会話術が必要だ」

 しかし、「家族を失った」「がんと告知された」というひとと、そうでない人とのコミュニケーションには本当に絶対的な違いがあるのだろうか。私はそうは思わない。というより、誰だって日常の仕事や生活の中で、ミスをして信用を失ったり思ったように計画が進まなかったりと、小さな喪失や挫折を重ねている。そういう意味では、この「傷ついている人とのコミュニケーション」の基本は、どんな人、どんな場面でも変わらないと思うのだ。

 つまり、余計なことを言うよりは、何も話さない。でも、相手が話したらちゃんと関心を持って聴く。そして、言葉以外の行動で、その人を手助けになるようなことをする。

 たとえば、飲み会の席などでも、「これ、ここだけの秘密だけど、今話題のIT社長、隠し子がいるらしいよ」などと、どこから仕入れた情報をベラベラ話す人よりも、飲み物がなくなったときに何も言わずに注いでくれる人。家が遠い場合は、「終電、大丈夫? 無理しないで中座してもいいよ」などと声をかけてくれる人。そういう人の方が、とくに女性にとっては良い印象を残すはずだ。

 別にナプキンを広げて膝にかけてほしい、などと”お姫さま扱い”を望んでいるわけではない。ただ、「ああ、この人は自分の立場に立って、今何が必要か、どうしたくないかをちゃんと考えてくれるんだな」という事が伝われば、それはどんな言葉よりも有効なコミュニケーションであることは間違いない。

 とはいえ、飲み会などで「ひと言も話さない」というわけにはいかないだろうから、言葉を介したコミュニケーションを行う場合について、ひとつだけ注意を促したいと思う。

 それは、ほとんどの女性はゴシップや下ネタを好まない、ということだ。この点に関しては、多くの男性がとんでもないカン違いをしているのではないか、と思う。

 よく自分自身や職場の上司、同僚などに関しての際どい下ネタを得意げに話し、まわりの女性が「えー! 部長がですかー! ウソでしょう」などと反応をするのを見て、「よし、ウケてる」と思っている男性がいるが、これは女性たちがそんな話しかできない男性に同情しながら、喜んでいる演技をしているだけ、と考えてよい。

 それどころか、これまで信頼していた男性であっても、「あのタレント、三二歳年下の女性と結婚だって。羨ましいよね。でもオレがそんな若い女といい関係になっても、シューイチが限界で相手を欲求不満にしちゃったりしてね」などと話し始めた瞬間に、多くの女性は失望と嫌悪感を抱くのは間違いない。

「男性は草食系、女性は肉食系」と言われている昨今でも、女性は目の前の男性、しかも恋愛の対象でない男性が、自分を含めた女性を性的な対象として見ている、とわかった場合、生理的な恐怖を感じて心をシャットアウトしてしまうのだ。

 一月二四日は、「世界コミュニケーションの日」なのだそうだ。二〇一二年のその日、ローマ法王ベネディクト一六世は、自らのメッセージの中で「黙考の大切さ」を説いた。

 法王は、「答えを探す多くの人」がネット検索エンジンやソーシャル。ネットワークを安易に使い過ぎていることを指摘し、「途切れることのない問いは、人々を落ち着かなさを表している。うわべだけの意見交換では人々は安らげない」と批判した。
 そしてその上で、こんなことを言っている。
「愛し合っている者同士は、黙っていても顔の表情やしぐさで互いを理解できる」「神は沈黙の中で語られる」

 ツイッターなど短い言葉が無数に飛び交う現在、なぜローマ法王は「言葉を介さないコミュニケーション」の大切さを説こうとしたのか。「まあ、みんながネットばかりやりすぎて、”キリスト教離れ”が進むのを恐れたんだろう」などと意地悪く深読みする人もいるかもしれないが、ここは素直に「なるほど」と受け入れてみてはどうだろう。

 言葉を重ねないコミュニケーション。言葉を呑み込む会話術。私がもし、男性向けのコミュニケーションの本を書くとしたら、こんなタイトルにしてみたい。そして、「どうすればモテるか、という本をお願いしますよ」と頼まれたら、そのタイトルは、こんな風になるだろうか。

「相手が本当にしてほしいことだけそっとしてあげると、モテる男になれる」

 もちろん、その中には「私がしてほしいこと? それは”何もしないで”ってことね」という答えが含まれる場合もある、ということを忘れないでほしい。

 何もせずに、そっと見守る。それだけで心が伝わる、という場合だってあるのだ。万が一、それでは何も伝わらなかったとしても、相手に不快な思いにさせたり嫌がられたりするよりは、ずっとマシなのではないだろうか。

つづく 5 品格と野心、この時代に必要なのは?